この組版どう思いますか?
ある国際的な競技会でテニスのジョコビッチ選手がゴールデンスラムを達成しました。選手リストでは「DJOKOVIC Novak」、記事の見出しでは「NOVAK DJOKOVIC」、記事の本文では「Novak Djokovic」、といった具合に氏名の表記がまちまちです。これらは統一すべきでしょうか。統一するならどれに統一するのがいいと思いますか。
この場合は統一しない方がいい
現状で全然問題ありません。これは不統一ではなく適材適所の使い分けがなされた結果だからです。選手リストは主に姓が参照されるので姓を大文字にして語順を先頭に入れ替えています。見出しは目立つ必要があるので全大文字、記事本文では固有名詞の標準的な表記である頭文字のみ大文字になっていますね。折角スマートに使い分けされているのですからわざわざ統一する必要はありません。
こうしたことに思い至らないと、不統一が気になり出して止まらなくなり何でもかんでも闇雲に統一せずにはいられなくなるかもしれません。深呼吸して強迫観念を鎮めましょう。そして、ゆっくり時間をかけて組版を見る目を養うことを意識してみませんか。
闇雲な統一の例1:ロゴと本文
以前の記事「多言語組版ノート:大文字表記を避ける」で、文章の目的はロゴの再現ではなく情報の伝達なので、たとえロゴが大文字でも文章中では標準的な表記に改めるべきと説明しました。そこで無理に表記を統一すると読みやすさが損なわれますし、みっともないので避けた方がよいでしょう。
闇雲な統一の例2:略語の濫用
右端の「Sta.」はStationの略語のつもりなのでしょうけれど、ピリオドを使えば略語を自由に創作していいわけではありません。一般的な表記ではないため違和感を覚えます。スペースが狭いが故のやむを得ない措置なのでしょうか。
あれれ?かなり余白が……。これを見ると「やむを得ない措置」ではなかったことが判ります。おそらく訳語を「駅=Sta.」と定めてしまったので、スペースの有無を考慮せず杓子定規に「Sta.」表記で統一したのでしょう。スペースに余裕があるときは略さずにStationと表記すべきです。スペースに余裕がない場合も略さずに文字サイズを落として収めた方が、無理やり謎の略語を使うよりも親切です。
さて、よそはどうでしょうか。ちょっと見に行ってみましょう。
京成電車は問題ないですね。JRも問題ありません。
旧国鉄も問題ありませんでした。みなさんの地元の駅は大丈夫ですか?
規則は誰のため?
闇雲な表記統一は「組版には規則があってそれさえ守れば間違いない」と思いたい人が陥りがちな罠のひとつです。組版の目的はユーザー側の読みやすさ・見やすさの実現ですが、規則の目的は作り手側の品質管理の都合に過ぎません。二者が両立しにくいとき、読みやすさより規則を優先するようでは本末転倒です。
組版には正解か間違いかで白黒付けられない問題が少なくありません。今回の記事中でもスマート・読みやすさ・みっともない・違和感・親切といった曖昧な表現が登場しました。どういう組版が最適かは場面によって様々ですから、その場その場に相応しい配慮と作法で臨みたいものです。
主な参考資料
田代眞理・小林章「英語の情報、読者に伝わる組み方とは」Type& 2015(講演)、2015
本田弘之・岩田一成・倉林秀男『街の公共サインを点検する 外国人にはどう見えるか』大修館書店、2017
髙岡昌生「欧文組版の ABC(第3期)」TypeTalks 分科会(セミナー)、2015
>>関連資料:ポストエディット品質チェックシート ダウンロード